好きを語りたい櫻餅

思い出の中の出来事はいちいち確認せず勢いにまかせるので正確ではないし、ライブや舞台の感想もその瞬間から忘れていくのを必死でかき集めてるので正確ではありません。網膜に録画機能をつけたい(悲願)

マーキュリー・ファー について考える その1

2021年2月、吉沢さんが熱望したという『マーキュリー・ファー』出演決定のお知らせ。大河が始まったばかりだというのに、そして大河主演はそのあとしばらく休むものだと思っていたのに、まさかの間をあけずに信じられないほどヒリヒリする舞台への出演とは。インタビューでも作品への熱量が迸り、かつ舞台への恐れとそれに挑戦し続ける意識、もうしびれるほどの役者っぷりに震えました。最高すぎる。何万回惚れ直させたら気が済むんでしょう。

 

そんな、彼が惚れ込んだ作品をこちらも心してしっかり予習するぞと。翻訳が出てないから読むのに時間がかかるし、早めに取り組んで、できるだけ理解して観劇にのぞみたいぞと。すぐ買いましたよね。取り寄せで1週間かかるのももどかしいぐらいの思いで注文し、3月上旬に入手。読もう読もうと思いながら、血洗島を出て、京都に行って、一橋で励んで、リベンジして、パリ行って、ヒロアカして、新政府つくって、実業家して、社会貢献して、鐘ついて…

 

…さきほどやっと最初から最後まで1度ざっとさらいました。(2022年1月27日14時頃の話です)(幕が開くまであと28時間ぐらいしかない)(夏休みの宿題を最終日にやるタイプというのは一生直らないのか)

 

で、読後ほやほや感としては、ただもうなんてこった…という気持ちでおりまして、これについて語ろうなどという気力はディメンターにすっかり奪われてしまったような感じなのですが、大人なので平静を装ってとりあえず、明日の初日までにと、ここまでざっと予習した周辺情報だけでもまとめておきたいと思います。

 

劇評より

本の巻頭にあった主要新聞の劇評的なやつがすごくヒントに感じました。たとえば

・リドリーの劇はその不穏な暴力性にも関わらず、猛烈な道徳性と優しさを備えている

・実際の世界のニュースを暗示する悪夢のシナリオを意図的に作り出している

・それと同時にギリシャ悲劇とジャコビアン悲劇の伝統にのっとって描かれている

・脳細胞を焼き尽くす現代の名作

・観客の皮を剥ぎ生々しく露出させるがそのメッセージは救いとなる

・引き込まれるようなゾッとするような、反吐が出るほど中毒的なリドリーの最高傑作

くううううううめっちゃ痺れますよね!!!!!(つって、学生時代ぶりにまじめに英語読むのでぜんっぜん違うこと書いてたらごめんなさいね、って感じです。ま、十人十色、私には私のリドリー、あなたにはあなたのリドリーってことでご容赦ください)

で、この中でギリシャ悲劇とジャコビアン悲劇の伝統にのっとって、っという部分、この話をきけてよかったなと思いました。ギリシャ悲劇はわかるけどジャコビアン悲劇って?と思ったらだいたいシェイクスピア周辺のことでよいらしく、そう思うとだいぶとっつきやすくなった気がします。今作は2005年に発表されてその頃の社会情勢の暗さや切迫感を反映したヒリヒリするような同時代性を持っているものと聞いており、ビビリなのでいわゆる現代社会の問題を描きすぎている作品は、考えさせられる大事な題材なのはよくわかるけど、観劇の喜びを感じるのが難しいのではと思ってたところがありまして、でもそれがギリシャ悲劇やシェイクスピア悲劇のようにひとつの物語性を持って提示されるならば、それは嬉しいなと思いました。

 

巻頭の詞

物語が始まる前に、だれだれに捧げるとか、他人の著名な言葉が、意味ありげに置かれてますよねー洋書って。面白い文化だなあといつも思ってるんですけど、

ここでもいくつか提示されているうちの一つに、なんと荘子の「胡蝶の夢」がありまして、東洋人として(急にくくりが大雑)嬉しくなりました。漢文のテストに出たりしますが、蝶の夢を見ていて目が覚めた、さて自分は蝶の夢を見ていた人間なのか、人間になった夢をみている蝶なのか、ってやつですね。なにしろ「蝶」にドキドキするし、このあとのミノタウロスの牛か人かっていうエピソードにもつながるし、すごく深読みしたくなってしまいます。

が、深読みするほど本編よみこめてなかったんで周辺情報、っていうかもう本筋に関係ないのですが荘子さん春秋戦国時代の方なのでもしかして我らが嬴政と時代かぶってたりする?と調べずにはいられない。結果的にはかぶってなかったんですけど、ちょっと前の昭王(政くんのひいおじいちゃん・嬴政以前に中華制覇をめざして秦の六代将軍を擁した偉大なる戦神・王騎将軍が最後の出陣の前に、次に仕えるに値すると認めた王に伝えよと言われたこの昭王の遺言を、嬴政に伝えたのでしたー-ああ思い出してやばい号泣)の時代の方でした。熱い。私の中で荘子が一気に身近になりました。

で、無理やり話を戻すと、荘子さんってよく孔子さんと並べられますが、非常にざっくり言っちゃうと、めっちゃ実際的に大事なことを弟子に教える形式で語るお説教の孔子(ちなみにそれが論語で、論語といえば栄一さんですよね!!!)と、思想はそんなに離れてないけどそれを物語的に詩的に語る夢想家の荘子、っていう感じみたいなんですよね。で、のちほど触れますが、白井さんがリドリーさんの戯曲に魅力を感じる理由のひとつに、現実的な問題を寓話にフェアリーテイルにして差し出してくれるところがすごく好きだと仰ってて、リドリーさんと荘子さんの共通点を感じて面白いと思いました。

 

作者 フィリップ・リドリー

「1957年イーストロンドン生まれ、幅広い芸術メディアで活躍する英国のストーリーテラー」(Wikipediaより)だそうです。マーキュリー・ファーの土地設定はご自身の生まれた場所なんですねー。現在の実態はわかりませんが、従来のイメージで言うといわゆる上品な地区ではなく、観光客は夜一人で行かない方がいいタイプのところだと思います。まさに、肌で感じて育った空気を描かれているかと思うとわくわくもひとしお。

作品は本当に多岐にわたっていて、詩も小説も書くし、音楽も作るし映画も作るし、写真家でもあり脚本家でもあり、そのいずれもがそれぞれに高く評価されている、という方でした。めっちゃ尖った作風に思えるのに、いろんな大きい賞もとってるし、王立劇場の記念作品も依頼されたりしてて、すごいなと。新進気鋭の、攻めた作風のアーティスト、という感じだと思うのですが、まあこれも漠然としたイメージですけど、さすが伝統とパンクの国イギリス?欧州みんな?って、そういう尖った攻めたアート、誤解をおそれずに言えば未完成にも見えそうなものに、権威ある賞が与えられたりしません?もちろん米国や(それに追随する…と言いたくないけど言わざるを得ない…)日本でも、そういった新人発掘激励的な賞の機会はありますが、やっぱり大きい賞はいわゆる大作、誰がみてもこれは立派だなあというやつにいきがちだと思うんですよね。実際日本ではリドリーさんは主に映画で紹介されていますがカルトの帝王的に説明されています。カルトってついた時点でメジャーな賞はとりそうにない。でもなんか欧州の受賞作品って、こういう観る人を選ぶようなやつに大きい賞がいってたりして、なんか、文化の土台が成熟してるってこういうことなのかもな、と思ったりしますね。余談ですけど。あ、そういう意味でも、世田谷パブリックシアターの上演ラインナップがね、どちらかというとこういう観る人を選びそうなタイプの質の高さ、こういう路線がかっこいいなと思っています。余談。

っていうわけで、もう本当にいろんなことをされていますが、その中でも子供や若者のためのアート活動も積極的に目立つように思います。2005年に発表したマーキュリー・ファーですがその後2011年に劇場の企画でこの戯曲を上演する若いアマチュア作品を特集し、リドリーさん自身も関わって舞台裏のドキュメントも作成されて2013年に公開、現在も映像は公開中です。マーキュリー・ファーが、発表されたあともリドリーさん自身との関わりとともに動き続けているというのを知ると、間違いなく今この時にも訴求するものなんだとまた嬉しくなりました。

 

演出 白井晃

さてそんなリドリーさんに、演出の白井さんがどう魅かれていかれたのかということについて。いろんな媒体で仰ってますが、2016年の「レディエント・バーミン」のインタビューでかなりリドリーさんとマーキュリー・ファーのお話をされていて、不安定な人間が子供から大人になっていく段階で自分を成り立たせるために、自分と他者と世界をみつめてもがく、それこそが白井さんが演劇をやっている意義と重なっていてまずは重要な魅力と。

そして弱者が牙をむく瞬間、決して残酷さや暴力を行程するわけではないけど、その本能は動物である以上備わっているものだというところ、その輝きに驚きと共感と美学を感じられるということ。マーキュリー・ファーが書かれた2005年頃は、他者との具体的な関係が希薄になり、自分が牙をむいたら相手は血が出る、ということを、実際に牙をむいてしまうまでわからなくなっている、という危機感。

ただし、実際におきている様々な事件、これをあからさまに現実の事件をとりあげた演劇だったら動かされなかったが、これをフェアリーテイルとして作った演劇的な仕掛けが面白い、という点がとても興味深いです。

白井さんが戯曲を演出されるときは通常どういう演劇的な仕掛けができるか考えるが、リドリーさんの戯曲でだけ、それが必要ない。それくらい戯曲そのものをそのまま、皮膚感覚や体温や息遣いまで感じる濃密な空間がうまれる感覚で読める、というお話。むちゃくちゃ興奮しますね。

不安定な人物像を演じるキャストがどういうお芝居をされるのか、弱者が牙をむく瞬間はどうなのか、寓話的演劇的というのがどういう仕掛けなのか、そしてリドリーさんが描くままストレートに上演していく感覚を客席はどう感じるのか、楽しみすぎてクラクラしてきました。

 

白井さんが出会って惚れ込んだきっかけという映画「柔らかい殻」と、リドリーさんの最初の映画「ミスタービークを訪ねて」をみてみたんですけど、どちらも子供の無邪気さのなかにある本能的動物的な残酷さ、その力に子供が自分で気づいて絶望すると同時に自らの手に宿る力に昂る、というような雰囲気があり、まあたった2本観ただけでわかったようなことを言うのもなんですけど、若者のそういう少年期から青年期になる間の、劣等感と万能感と自己嫌悪と自己顕示に目覚めて行くドロドロした部分、それこそ押見修造さんとか中村文則さんとかリバーズ・エッジとか、吉沢さんの大好物そうなやつの気配にこちらもむちゃくちゃ昂りました。

 

白井さんの最近の演出作品では、ホイッスルもチケットとってたのに公演中止になってしまい、草彅さんのアルトゥロウイも同じく見逃してしまったんですけど、去年2本拝見しまして、稲垣さんの「サンソン」フランスの死刑執行人の話ですね。これが、演出が白井さんで、脚本が中島かずきさん、吉沢さんファン目線で言うとメテオの脚本を書いた中島かずきさんなんですよね、これは観るしかないと。あとミュージカル「ジャック・ザ・リッパー」イギリスの切り裂きジャックの話ですね。木村達成さん加藤和樹さん田代万里生さんがそれぞれやばくて最高という評判だったやつで、ほんとにめっちゃ良かった。輸入元の上演を観ていないのでどのくらい白井さん色があるのか素人目にはわからないのですが、めっちゃよかったです。細かいことはさておき全体的な印象として、どちらも暗い話といえば暗い話なんですけど、その暗い世界をただうつうつとするんじゃなくて暗さから生まれる強烈な力みたいなものを描かれるのがすごくすごくいいなあと。ファンタジックな暗さ、美しい暗さ、そして力強い暗さというか。いずれもやはりヨーロッパ的な暗さで、そういう雰囲気を扱うのに長けてらっしゃるんじゃないかという気がして、また勝手にですが、非常にたのしみだなあという気持ちが増してます。

あと、そういう概念的な暗さと同時に、物理的に、舞台であかりがあたってない部分って、無の何もないことになってたり、逆にすごくキーだったりするんじゃないかと思うんですけど、そういうとこの演出的な使い方がすごくドキドキさせて上手いな!っていうのも思いました。

 

ちなみに主催が違うので参考にならないかもですけど、ジャックザリッパーは配信があり、マルチアングル配信だったんですよ!4画面あって、いわゆる普通のおすすめ視点カメラワークのやつと、全体をずっと俯瞰でみられるアングルと、メインキャストそれぞれをひたすら追い続けるカメラってのがあって、いやああああこれはぜひマーキュリー・ファーの配信にもとりいれていただけたらうれしいいなああああああと思いました。
全体もひとりひとりもどっちも舐めるように観たいので。ひとまず興行元に丁寧なお便りをだしておきましたけど…まあ普通は難しいですよね…。

とはいえ、配信してくださるというだけでもう、本当にありがたく。というのも、サンソン配信するってなったときに、白井さんがめっちゃ気が進まないけど仕方ない…という気持ちを隠さないコメントをしてらして、いやそれはそうなんですよね、作る側としては同じ空間を共有するために考えて作ってるわけで、めちゃめちゃお気持ちはわかりますが、時節柄、納得してくださって何よりです。

 

 

 

さて以下、あらすじ(はサボリますが)、場面設定、登場人物、内容で気になってる点、などに触れていきます。観劇前で中身を知りたくないという方は(私も観劇前ですけど)またのちほど。

 

 

 

あらすじ

というわけで作品のあらすじについては(要約が難しくて断念)公式サイトへ。

『マーキュリー・ファー Mercury Fur』 | 主催 | 世田谷パブリックシアター

 

 

戯曲の場面と登場人物の設定(上演では違うかも)

場面

ロンドンのイーストエンドにある廃墟のような団地の一室。はがれた壁紙、古い家具とカーペット、壊れた装飾品などがゴミと埃に覆われている。玄関の他に、バルコニー、寝室、バスルームへの扉もあるが、窓がベニヤ板でふさがれていて暗くよくみえない。

 

登場人物

エリオット

19歳。フード付きジッパージャケット、ジーンズとトレーナーを着ている。トーチと大きなスポーツバッグを持って、足を引きずりながら歩いている。

 

ダレン

16歳。フード付きジッパージャケット、ジーンズとトレーナーを着ている。トーチと2つの非常に大きなスポーツバッグと箒を持って、疲れた様子。

 

ナズ

15歳。快活な少年。

 

ローラ

彼は19歳。赤いスパンコールのドレスと色あせたデニムのジャケットを着ている。金色のラメ入りのツーピース・スーツを持っている。

 

パーティープレゼント

10歳。気絶した少年。Tシャツにジーンズ姿。

 

スピンクス

21歳。革のズボンに黒の毛皮のコートを着ている。金の指輪をすべての指にはめ、金のネックチェーン、金のリストチェーンをつけている。姫と腕を組んでいる。

 

38歳。水色のスパンコールのドレスと白い毛皮のコートを着ている。パールのイヤリング、ダイヤモンドの指輪、ネックレス、ブレスレット、きらびやかなティアラ。化粧をし、黒眼鏡をかけている。彼女は目が見えない。

 

パーティーゲスト

23歳。きちんとしたスーツに白いシャツ。一番上のボタンをはずしてネクタイを緩めている。スポーツバッグを持っている。

 

 

気になってること

・ナズの役の人めっちゃ大変では?

・ベトナムの枯葉作戦的な蝶?

・遅効性の蝶もあるってこと?

・スピンクスいい人すぎない?

・ウサギと侯爵夫人はやっぱりアリス?

・神話というか古代文明がゴリゴリ出てくる意味?

・アステカボウルって大英博物館にほんとにあるやつなのかな?

・ホワイトチャペル駅とか大英博物館とか具体的な位置関係は本当?

・I love you so much は何かのスイッチなの?

・お父さんの愛というか呪い…これもオイディプス的な神話の何か?

・タイトル???????

最後まで読んだらちょっとは想像できるかと思いきやぜんっぜんわからない。わかんなくていいやつなのかもしれないけど…上演を観たら腹落ちするようになってるんだろうか…楽しみだな… Mercury fur ってかたまりでは辞書になくて、検索したら作品が出るばかり(当然か)

mercury、神話が意味をもちそうな気配なので、これはメルクリウスだろう!と思ったんですけど、この人めっちゃ担当してる仕事が多くて意味が絞れない…基本的には商人や旅人の守護神で、あとなんとなく商業の神、錬金術の神、瞬足の神、牧畜、伝令、職人、技芸、盗賊、雄弁家、両性具有、賢者の石として輝いてるのもメルクリウス、象徴はライオンとユニコーン、鳩、鹿、鷲、龍。多岐にわたりすぎじゃないですか?これにギリシャ目線のヘルメス要素も足すと更に増える一方で収集が付かないし。エリオットが蝶の売人だから商売の神…?ではなさそうですよね…神じゃなければエノキグサ、水銀、水星。水星から水曜日の語源。mercury 水銀から俗語で体温計のことを指す場合もあると。しかし作中の体温計は普通に thermometer って書いてあった。ここからthe mercury is rising で盛り上がってきたとか、run like mercury でめっちゃ早く走る的な?韋駄天走りってことかな?まあ違いますよね… 水銀は金属と同時に液体であることから、物質であり霊、冷たいと同時に火と燃える、毒と同時に薬、という、諸対立を一つに結び付ける象徴…だそうで??? fur は毛皮のほか、湯垢とか液体の表面の膜や舌苔、俗語で女性の陰毛。慣用句では the fur flies で激しい口論とか、set the fur flying でひどい騒動を引き起こすとか…このひどい騒動が一番近い気がするけど…文中では侯爵夫人が着てるのがfur ってだけだし…お手上げ。観るのが楽しみです!!!!!(雑)(明日に備えてもう寝るし!)